1999年度 メルボルン〜大阪カップの記録

第1レグ
第1レグは、4月17日、午前10時にメルボルン港内からスタートした。北よりの微風で、ほとんど艇速はゼロに近い状態。艇のコントロールが難しくラッキーレディVがリコール。そんな難しい状況のなか、サウスウィンド·バイ·ヤマハ(以下 ヤマハ)がいいタイミングでスタートを切る。さらに風下から ロンギチュードもいいスピードで飛び出していった。その後、シーブリーズが入ってくるが、結局コース短縮となる。サンドリンガムヨットクラブの前でフィニッシュとし、各艇もともとのフィニッシュ地点付近のブレアゴーリーに向かった。明日からの第2レグが本番ともいえるもので、この日は早々とリタイアし翌日に備える艇もいた。

第2レグスタート
第2レグのスタートは、4月18日午後3時30分。潮汐の関係で例年よりもスタート時刻が遅かったこともあり、ポートシーの海面にはすでに心地よい南からのシーブリーズが吹き込んでいた。天気は快晴。申し分のないレース日和である。スタートの号砲と同時にモンティンがスピネーカーを展開し、トップスピードでラインを切った。続いてセイヤーナラが 本部船よりからマストヘッドスピンを展開しモンテインに追いすがる。 ロンギチュードはゼネカーの展開に手間取っていたが、風をはらむやいなやすばらしいスピードで走りはじめ、あっというまにトップに立った。実はこの時、セイヤーナラはキールに海草を引っかけていたようで、その後艇を止めて海草を外すとスピードは回復。ふたたびロンギチュードと並んだ。

オーストラリア東岸

4月20日。スタート前にすでに天気図に姿を現していた低気圧は、その後も発達を続け、レースフリートに襲いかかった。図1は、オーストラリア東岸の4/21~4/25までの主な艇の航跡図である。21日の時点では、セイヤーナラスピリット·オブ·ダウンアンダー (以下 スピリット)、 ロンギチュードは横一線。ヨーコもすぐ後ろにつけている。この後、スピリットヨーコは岸よりのコースをとるが、ロンギチュードセイヤーナラは沖よりから猛スピードで走り22日にはリードを得る。しかしここでロンギチュードはブームトラブルのためコースを離脱。ブリスベーンに向かう途中の23日には、沖出しを始めたスピリットに追いつかれている。ロンギチュードはこのままリタイア。その間にも他セイヤーナラはすばらしいスピードで走り続け、25日には2位以下を200マイル以上も引き離している。一方、グリーン·ホーネットもかなり沖よりを走っていたが、23日には時化につかまり転覆。艇体放棄し漂流するも24日朝には無事救助される。この時、トップのセイヤーナラとは500マイルほども離れており、海のコンディションはかなり違っていたようだ。モンテインも23日にはトライアルベイに避航している。その他、修理入港した艇も多かった。小型艇にとっては低気圧とともに走ることになり、走って走っても時化は収まらないという状況であったようだ。時化が去った後、ふたたび戦列復帰する艇もあったが、ここで無念のリタイアを余儀なくされた艇も多い。26日には時化は収まるが、この時点でトップを行くセイヤーナラはすでに2位以下を290マイルも引き離していた。

4月22日〜24日の気象・海象分析

オーストラリア東岸の強風と高波

第2レグ最初の山場は、各艇がオーストラリア東岸にさしかかったとき、強風と高波とともにやってきた。
21日(現地時間)、南方に低気圧を伴った深い気圧の谷がタスマン海中央に達したとき、この深い谷のなかの、南緯36度·東経161度付近の海域で亜熱帯低気圧が発生。この低気圧は北方からの潤沢な水分と熱の補給を受けながら発達を続け、22日12時には1000hpa, 23日には南緯35度·東経160度付近で995hpaの大低気圧となった。この影響で、各艇が北上中だったオーストラリア東岸一帯では、25日頃まで広い範囲で南からの強風が吹きつのった。データを見てみると、同じ南からの強風でも海域によって風速や高波、特に波の険しさに大きな違いがあったようである。風と波の条件が最も悪かったのは、南緯35度~33度付近で、特にシドニー沖から南東に向かう海流の強い海域では、この上を吹く強い南風の影響で、波長の短い、きわめて険しい状態の波が発生。追い風に乗って高速で北上する艇に、大きな衝撃を与えたものと推測される。先行艇は、低気圧による強風と高波がはじまった後、比較的早くこの悪条件の域から抜けているので、結果として前後の差はさらに広がってしまった。この低気圧は勝敗分岐の大きな要因となったと言えよう。

参加艇からEメール等で寄せられたレポート

モンテイン  4月24日
避難中のトライアルベイより

この2、3日の海は身の毛がよだつようだった。波は垂直にそそり立つ壁となり、泡立った波頭が我々の方へ吠えながら崩れてくる。波は南東と南西から巻いてきて、ぶつかったところで白く巨大な水のタワーが空中にできる。昼間はなんとか波をかわすことができるが、夜は揉まれるまま。一度、舵を握っている時に砕けた波を被ったが、永遠に続くかと思った。眠ることも、動くことも、食事を作ることもままならず、濡れたままで、疲れ果てている。こんな小さな艇がいる場所ではない。
ヨーコ 4月22日17:37

イーデン沖で我々を襲った前線は、南西·南·南東から25 ~45ノット吹き、スコールや雨を伴って50ノットになることもあった。が、我々の後ろから吹いたことは神に感謝した。また、船尾が波を被り、危うくノックダウンという緊張した瞬間が何度かあった。2時間ごとのワッチに変えたが、それでも眠りそうになり、ワイルドジャイブを繰り返した。ポート·ステファンズから先は、潮に乗って走っているため海も幾分穏やかで、我々も休息が取れている

グリーン ホーネットの遭難と救出

4月22日。強い南風の中、セイリングしていたグリーン·ホーネットが転覆。舵を持っていたクルーのゴードン·マンが飛ばされて腕に怪我を負う。4月23日朝。怪我の治療のためにシドニーへ向かう途中、再び転覆。スキッパーのブライアン·マレーも怪我をし、さらには艇体にも大きなダメージを負った。沈みかけるグリーン·ホーネットから2人の乗組員はライフラフトで脱出。その際、キャビン内からイパーブを持ち出すことはできなかったが、船尾に備え付けられていたアルゴス端末を持ち込むことはできた。15時。アルゴス端末から緊急信号が発信されている旨、フランスのアルゴス社からサンドリンガム·ヨットクラブに連絡が入る。17時45分。救難機関(AusSAR)に捜索依頼。22時頃。航空機が現場付近で弱い灯りを発見。ただちに船舶とヘリが派遣され日の出を待って捜索。24日07時55分。海軍のウォーナンブールによって両名とも無事救助される。グリーン·ホーネットはその後沈没した。

注)時間はオーストラリア東部標準時

赤道無風帯


レース艇団は赤道無風帯にさしかかる。これまでの参加者の多くは、「微風を制するものがOSAKA CUPを制する」と語っているように、いかにこの海域を走り抜くかが、勝敗の分かれ目となる。図2は、5/4から5/12までの主な艇の航跡図である。4日の時点では、ラッキーレディVルナ·プロミネンス は、ほぼ同じ緯度で並んでいる。西よりの迂回コースをとったラッキーレディV は、もくろみ通りいい風を受けて快走しているものの、緯度的にはあまり伸びてはおらず、8日にはルナ·プロミネンスがわずかに早く赤道通過。北東貿易風帯に入ると、より風上に位置することになる東よりコースの方が有利になったようだ。浪速ヤマハモンテインも64日にはほぼ同緯度で並んでいる。これまでの強風域を、いいスピードで走りきった浪速だが、さすがに重量級の艇体ではこの軽風域はきつかったようだ。モンティンが艇の性能にものをいわせてリード。ヤマハもいい位置につけているがこの後リタイアしてしまう。ひと足早くこの海域に入ったヨーコスピリットだが、スピリットがオルタネータの修理のためにリヒア島へ寄港修理。この間にヨーコは危なげなくリードを広げ、このまま着順2位、クラストップでフィニッシュ。さらにトップを行くセイヤーナラはこの時点ですでに独走態勢で、このまま逃げ切りファーストホームを果たした。

5月4日〜12日の気象分析

ソロモン海の攻防

南緯10度付近のソロモン海から北緯10度付近までの海域は、貿易風帯から外れた風の弱い海域として知られているが、5月4日から12日にかけての主なレース艇の航跡図を見ると、この海域の風の特徴が良くあらわれている。コース上に大きく横たわるニューブリテン島の、東西どちら側を通過するかが、1つの鍵を握っていた。西側のニューギニア沖を北西に進むコースは、ここを北西方向に流れる海流に乗ることができるといったメリットがあるが、無風帯が広い。一方、東側のブーゲンビル沖を北上するコースは、無風域は少ないものの場所によっては逆方向の海流を覚悟する必要がある。西側のコースを取ったラッキーレディVと、東側のコースを進んだヨーコルナ·プロミネンスの航程を比較すると、まず、ニューギニア北東岸の海流の効果はあるにはあったが十分でなかったことが言える。一方、ニューアイルランド東岸の海風とスコールによる風の効果があった模様だ。また、南緯5度付近から赤道までの、いわゆる無風帯のなかでも弱い東風が残っており、この風は東経150度以東の方が良かったと言える。赤道以北の北半球偏東風は北緯15度付近までは北へ行くにしたがい力を増していたが、これも東よりほど有利だった。

参加艇からEメール等で寄せられたレポート

浪速 5月4日09° 01, N 154° 00′ E
2日ほど雨が続き、微風。風向が定まらない状態が続く。なにも、自分のところだけ風がないのではない。ほかの所はもっとないかもしれない。ルナ·プロミネンスサウスウィンド·バイ·ヤマハモンテインアウトレイジャスIII浪速ラッキーレディVは団子状態。まだ、チャンスはある。

スピリット·オブ·ダウンアンダー 5月5日17:43EST
セイヤーナラは270マイルとリードを広げた。しかし、いいニュースがある。我々はソロモン海を抜けた。神に感謝。ニュース!ラッキーレディVがパプアニューギニアとニューブリテン島の間を抜け、我々を抜いて3位に! ピーターはビールを全部飲んでしまい、タバコも最後の一箱になった。

日本近海
レーサーCクラスは貿易風帯に入ってもなお順位争いが続いていた。5月16日時点では、スピリットがトップ。155マイル遅れてアウトレイジャスIIIさらに110マイル遅れてモンティンと続く。その後、最小艇ながら細身で軽量な艇体を持つモンティンはどんどんスピードをつけ、19日にはアウトレイジャスIIIをとらえる。翌20日には、みごとにアウトレイジャスIIIを追い抜いたが、スピリットにはおよばず。そのままの順位で大阪フィニッシュとなった。前回は、日本近海の黒潮を抜けるコース取りで大逆転が生まれたが、今回はこの海域に到達した時点でほぼ大勢は決していた。また、前回に比べ開催時期がずれたせいか、大阪湾内で微風に悩まされる艇も多かったようだが、それも順位に響くようなことはなかった。一方、ブリンダベラIIは危なげなく走り、クルーザーCクラスただ1艇の完走。クラス優勝を果たした。同クラスのアン·マリーは、無寄港で走りきったが、残念ながらタイムリミットにかかり完走とはならなかった。

今回のレースは、やはりスタート直後の荒天が明暗を分けた。すでにフリートは広い範囲に散らばっていたため、気象海象の違いや艇の大きさによっても差が出てしまったのかもしれない。また、スタート前の準備が進んでいなかった艇は、リタイアや修理入港が多かったともいえるようだ。

5月16日〜20日の気象分析

日本近海での競り合い

レース最後の難関は、北太平洋高気圧から南西に延びる気圧の峰の中央部に存在する、弱風域の通過である。スピリットは、16、17日に最も風の弱い部分をデイラン(1日の航程)138マイル(平均速度5.75ノット)で乗り切ったが、19、20日に弱風域を通過しだモンティンはデイラン103マイル(平均速度4.4ノット)、アウトレイジャスIIIは87マイル(平均速度3.8ノット)しか走っていない。また、モンテインアウトレイジャスIIIのディランが最も異なった17, 18日を見ると、モンティンは高気圧周辺部の 風のある海域に位置していたため、デイラン174マイル(平均7.3ノット)を走ることができた。一方、アウトレイジャスIIIはわずか89マイル(平均速度3.7 ノット)という結果に終わってしまった。太平洋の北上に関しては、北緯10度付近までは東よりが有利だったが、その後、本州沖までは西よりが有利となった。結果、大圏を真っすぐ北上するのではなく、ゆるやかにS字を描くコースが理想のパターンであった。

参加艇からEメール等で寄せられたレポート

スピリット·オブ·ダウンアンダー 5月19日02 : 04EST
現在地23° 38′ N 139° 22, E。昨夜スピードが落ちたのでアップウインドジェネカーを揚げた。この24時間にルナ·プロミネンスが我々を88マイルも抜いた。88を24で割ると、実に1時間に平均3ノット以上我々より速かったことになる。どうやってそんな風を見つけたのだろう。人生は時に残酷である。食料事情も悪くなっている。麺類、麺類、また麺類。タバコはすでになくなり、酒類も明日のハッピーアワーでなくなる。
5月22日
我々を日本まで吹き上げてくれる風を待つ間に、艇上でどのように過ごしているのかお知らせしよう。ピーターの注意深い指導で、生まれて初めてパンを焼いている。

浪速 5月22日17 : 00JST
室戸岬まで、残航430マイル。現在、340°に向けてクローズホールド、7ノットで帆中。24日深夜には室戸の灯台が見えるだろう。ひさしぶりに見る日本が楽しみだ。これで終わってしまうのかという気持も大きいが、みんなに会えるのが一番うれしい。

気象・海象分析 馬場 邦彦/(株)気象海洋コンサルタント

 

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